2月20日 朝ごはんとピアノの話

今朝も夫の運転で、朝一番に点滴に出かけてきました。

昨日の炎症値は1.39まで下がったので、今日の血液

検査の結果次第では、明日からは点滴はなくなるかもしれません。

 

病院の帰り、ホーマックによるというので、私も久しぶりにホーマックの中を ぶらぶら歩いてみました。病院へ行く以外、外を歩くのは10日以上ぶりです。

ぶらぶら歩いているだけなのに、体幹がしっかりせずふらふらして、息切れがしました。これはまずいです。ウオーキングをしなくては・・・・・気は焦るものの、歩き回るのはもう少し、体調が整ってからです。

 

1月20日

 

💛美味しい鮭

💛昨日息子に頼んで買ってきてもらったキノコ、

久しぶりのキノコともやしと豆苗をアヒージョの素と

アマニ油で。

 

 

💛アスパラガスを三元豚で巻いて塩コショウ。

アスパラが6本しか入ってなかったので、根元のほうをきったのを

わたしがいただくことにしました。固いかと思ったら、根元まで

柔らかくて美味しいアスパラでした。

 

 

💛アスパラの根本だけなので、私だけちょっと器が違う。

 

この安静の期間、私の具合のことを知らない白老にいる4年生の孫(男)から電話がかかってきました。

 

「おばあちゃん、元気?電話大丈夫?」

「いまこんなこんなこんな調子で、点滴してきて安静にしているところだけど、大丈夫よ」

と言ったら「あ、それじゃ、長くならないように、短く話すね、」

  (子供なのにそんな気遣いができることに驚き)

日本バッハコンクールの全国大会で金賞だったこと、金賞の中の一位だったことを話してくれました。

 

あとでネットで調べてみたら、金賞は金賞でも「ベーレンライター賞」というもので、

各部門で一人しかいただけない名誉な賞なようでした。.すごいなあ。

 

私も小さいころ(60数年も前のことです)、母にピアノを習わせてほしいと懇願したものでしたが、全く取り合ってもらえなかったので、兄が買ってくれたオルガンで、30円とかで売っていた楽譜のピースをかってきてひたすら練習したり、学校の本をみたり、教育テレビでやっていたピアノのレッスンを観ながら、指使いなど覚えたものでした。

 

大人になってから母に、どうしてあれほどピアノがやりたいと懇願したのに、習わせてくれなかったの?と尋ねたら、、習字やそろばんならいいけど、ピアノなんて全く習い事としては一般的じゃなかったし、その当時はピアノを持っている人は、全校でもほとんどいなかったし、私がただたわごとを言っているのだとしか思えなかったのだそうでした。「そんなに習いたかったの?悪いことをした」と大人になってから謝られてもねえ、

 

それで音楽的才能が光っていた次男に、私の若かりし頃の夢を託して、習わせようとしたのですが、その次男は「ピアノは習うものじゃないよ」なんていって、いくらすすめても、習いに行ってくれなかったのです。でもその次男の子供が、幼児のころからピアノをやりだし、正月や夏に家に来ると必ず、練習曲や大会に挑戦した曲などを「おばあちゃんに聴いてもらいたい」といって、何曲も弾いてくれるのですが、婆馬鹿ですが、幼いころから、孫の演奏の表現力が違うと、うっとりさせられたものでした。

 

自分で果しえなかった夢を、孫をみて疑似体験をしている私です。